
コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。
そのパンの味をはっきり認識したのは、アフガニスタンのマザリシャリフだった。 アフガニスタンに行くことは難しい状況が続いているが、かつて、タリバン政権が崩壊した後のしばらくの間、簡単に入国することができた。その時期、アフガニスタンをぐるりと一周したことがある。 パキスタンのペシャーワルから入国し、ジャララバード、カブールと進み、北部のマザリシャリフに着いた。そこからヘラートに向かう朝だった。 僕はホテル近くの食堂で朝食をとった。大きな木の下に四角い縁台のような台が3個ほど並んでいた。そこにあがり、朝食をとる。 パンとチーズのようなヨーグルト、紅茶という簡単なものだった。出されたパンをちぎり、口に運んだ。 しっかりした味だった。ずっしりとしていて、食べ応えがある。ベーグルに似ている気がした。なにもつけず、このパンだけで食べることができた。噛むほどに柔らかな味が口のなかに広がる。
似たパンはこれまでも食べていた。東南アジアからインドに渡り、西に向かっていく。主食が米からパンに変わっていく。インドからパキスタンに入ると、ひとつのパンが大きくなっていく。何人かで車座になり、中央にパンが置かれ、それを皆でちぎって食べるスタイルになっていく。なかでもペシャーワルのパンはとびきり大きい。 しかしアフガニスタンに入り、パンの味が変わった。よりしっかりした歯ごたえのずっしりと重いパンになっていった。
そのとき、僕は3種類目のパンに出合っていたことを、その後で知ることになる。 1種類目は欧米型のパンだった。日本でも主流になりつつあった。しっかり発酵させ、適度な軽みがある。その代表がフランスパンだろうか。 2種類目はアジア、そう東南アジアのパンである。甘みが加わり、パンというより菓子に近づいていく。タイ語でパンのことはカノンパンという。カノンは菓子のことだ。主食はあくまでも米であって、パンはあくまでも菓子だった。 バンコクでタイ語を習っていたとき、クラスメイトはほとんどが欧米人だった。彼らはよく、 「バンコクにはおいしいパン屋がない。バンコクのパンは甘いんだ」 とこぼしていた。 日本のパンもかつては甘かった。しかしその後、食の欧米化が進み、いまでは甘いパンは少数派である。沖縄に行くと、その甘いパンの存在感が増す。沖縄ではほのかに甘い食パンが売られている。 僕はこの2種類のパンの世界を生きてきたのだが、アフガニスタンで3種目にパンに出合った。それは「これが主食」と主張するパンの世界だった。 たとえば日本人も、おいしい米のことを、「ご飯だけで食べることができる」という。それとまったく同じことが、アフガニスタンのパンにはあった。パンだけで十分……。そんな感覚だった。欧米型のパンは、やはりなにかと一緒に食べておいしいパンにだと思う。 3種類目のパン──。それが中央アジアのパンだということをその後に知ることになる。シルクロードや玄奘三蔵のルートを歩く旅のなかで、そんなパンが日々の食卓を支配していくのだ。
からの記事と詳細 ( ずっしり重い「世界三種類目のパン」からシルクロードを想う――中野・新井薬師の中央アジア料理店(本がすき。) - Yahoo!ニュース )
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