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Saturday, March 6, 2021

2度被災 パン店夫婦「なくしたものだけじゃなかった」 - 朝日新聞デジタル

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 長崎県東彼杵町千綿地区で、前野高宏さん(37)と妻麻琴さん(38)夫婦はパン屋「ちわたや」を営む。自家製酵母のパンの材料には熊本県産小麦を、人気の茶バターには地元のそのぎ茶を使っている。家族を受け入れてくれた土地への「恩返し」からだ。

 2人は、東日本大震災と5年後の熊本地震と、2度の災害を経験した。10年間、困難の連続だったが、「なくしたものだけじゃなかった」と振り返る。

 2011年3月11日。東京の通信関連会社員だった前野さんは、高層ビルで地震に襲われた。命の危険を感じるほどの揺れだった。千葉市で新築中の家は無事で、数カ月後に住み始めたが、平穏な生活は訪れなかった。

 福島第一原発事故による放射能汚染のためだ。放射線量が集中的に高い「ホットスポット」が家の近くに現れた。外出時はマスクを着け、放射線測定器を持ち歩く毎日になった。

 当時長男が生まれたばかり。家の裏手は公園なのに幼い子は外出もままならない。「家はきれいでも健康の方がもっと大事だった」と麻琴さん。12年秋に熊本市の公営住宅に移った。

 前野さんは携帯電話の鉄塔を建てる現場仕事を始めたが、作業は危険で朝早く夜も遅く、家族の時間は減った。約2年後、熊本県南阿蘇村に住居兼店舗を購入し、麻琴さんがパンを販売するカフェを始めた。

 16年4月16日未明、最大震度7の地震が発生。長男の布団の上にタンスが倒れた。1歳の長女も含め無事だったが、家は大規模半壊。数日間、ホームセンターの駐車場で車中泊し、避難生活は4カ月に及んだ。

 地震が少ない地域と聞いて移住先に選んだ熊本で、また被災するとは思ってもみなかったという2人。いつしか「自分がこうしようと思っても、自然相手では、いつどこで何が起きるかは分からない」と考えるようになった。

 東彼杵町でパン屋を開いたのは17年春。素材にこだわったパンは決して安い価格ではなかったが、評判を呼んだ。開店から1時間ほどで約150個のパンが売り切れることもあった。

 新型コロナウイルス禍で順調な毎日がまたも一変。昨春から店頭からネット販売に切り替えた。結果的に購入者は全国に広がり、早朝から働く必要がなくなった。子どもたちと朝の時間をゆっくり過ごせるようになった。

 健康、家族との時間、仕事――。思い描いた将来は何度も覆されてきた。その時々に考えることで、夫婦の価値観は変化していった。前野さんはこう語る。「何をするかではなく、どんな暮らしをしたいかだと気づいた。震災で家族を亡くすような苦しい思いをした人がいっぱいいる中では、私たちの被害はたいしたことはない。命があったことが恵まれていた」(小川直樹)

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