下町情緒あふれる日暮里。かつては「新堀(にいほり)」という地名だったが、江戸時代に桜やツツジが美しいことから、“一日過ごしても飽きない里”と評され、そこから“日暮らしの里”と呼ばれるようになったという説がある。昭和の頃には町工場が立ち並び、活気に満ちていたが、時代の流れにのまれるように次々と町工場が消えていき、跡地にマンションなどが建つようになった。
そんな街の一角に、ひときわ目を引く緑豊かなスペースがある。芝生の庭を囲むように2棟の木造の建物が立っている。書店「パン屋の本屋」とベーカリーカフェ「ひぐらしベーカリー」が並ぶ小さな商業施設「ひぐらしガーデン」。ここも1917年の創業から100年近く続いたフェルト生地製造工場が建っていた場所だ。

「ひぐらしガーデン」を造ったのは、そのフェルト会社の4代目の佐藤雅一さん(45)。2006年に後継者として会社に入社したものの、安価な海外製品に押されて厳しい業績が続いていた。事業継続の道を模索したが、まだ体力のあるうちに工場をたたむという最終判断を下した。そして、祖父の代から受け継いだこの地を、地域のために生かしたいと考えた。
「工場の頃から地域の人とのつながりを大切にしてきたので、この土地で日暮里の価値を高められることがしたいと思いました。自分たちにしかできないこと、自分たちが本当に好きなことを事業にすれば、もし壁にぶち当たったとしても、諦めずに長く継続できるんじゃないか、と」
佐藤さんが思いついたのは、「パン」と「本」だった。自分が好きだというのもあるが、どちらも不特定多数の人たちが集まる場所だというところにも心惹(ひ)かれたという。
「病院や介護施設なども地域の役に立つかもしれませんが、その施設を利用する人しか訪れません。でも、パン屋と本屋なら誰でも出入りできるし、買う予定のない人だって来ることができます」

みんなが立ち寄るから「パン」と「本」
どちらも未経験の業態だったが、「やるからには質の高いものを」と考えた佐藤さん。国内外のパン屋をめぐり、毎日食べたくなるパンづくりを模索した。書店も、日暮里でもめっきり少なくなってしまった“街の本屋”のような役割を目指した。
そんなある日、佐藤さんは一枚のデッサンを描いた。広々とした芝生広場を挟んだ2棟の木造の建物。そこに多くの人が集い、くつろいでいるというものだった。
「店舗スペースを確保するために、少しでも大きな建物を建てるのがセオリーかもしれません。でも、広場のようなムダなスペースこそが、豊かさを作ってくれるんじゃないかと思ったんです」

構想から5年後の2016年に「ひぐらしガーデン」はオープンした。「ひぐらしベーカリー」には常時60~80種もの焼きたてのパンが並び、カフェスペースで食べることができる。「パン屋の本屋」では、地域に若いファミリー層が多く暮らすこともあり、絵本や児童書の品揃(ぞろ)えに力を入れた。
「パン屋の本屋」店長の近藤裕子さん(48)は、「近所の人に、毎日のように使ってもらいたい」というこの店のコンセプトに惹かれ、2017年からここで働くことになった。小さい頃から“本屋”という空間が大好きで、地元の東京都昭島市で書店員をしていた近藤さん。出版社で編集の仕事に携わった時期もあったが、書店に舞い戻ってきた。
「書店員も棚の“編集”をしていますし、自分は何よりもお客さんに直接的に関わるのが好きだってことに気づいたんです」(近藤さん)
コロナ禍で知った「街の本屋」の底力
店長になって、約6000冊あった本を約4000冊に減らし、棚や平台に本の表紙が見えるように陳列することにした。装丁や装画の美しい本がアイキャッチとなり、手にとってもらいやすくなると考えたからだ。親子連れの客が多いので、子供向けの本を引き続き充実させる一方、親世代が読みたくなるような実用書、ビジネス書、食や旅の本なども幅広く揃(そろ)えた。「パン」にまつわる本の棚があるのも、この店ならではだ。

店の入り口のガラス戸は、いつも大きく開け放たれている。ウッドデッキでつながった向かいのカフェスペースで、買ったばかりの本を読む人も。
「普通の本屋だと、お客さんが買った本を読んでいる姿を見ることはなかなかできませんが、カフェが併設されているここではそれが可能です。そんな姿を眺めながら仕事をするのは、私にとってとても幸せなひとときなんです」
新型コロナウイルスの感染拡大で、以前はよく開催していた「読書会」などのイベントは控えているが、客足はむしろ多くなったという。
「学校が休みになって、テレワークが増え、人と会う機会が減ったせいか、本を買う人がすごく増えました。図書館などが休館していた春先は逆に忙しいくらいで、改めて本の大切さや底力を感じました」

12月に4周年を迎え、すっかり地域になくてはならない存在となっている。今年3月からは全国200店以上の書店が展開する「御書印プロジェクト」にも参加。寺社の「御朱印」のように、書店員が店独自の印を押して一筆したためるサービスで、「御書印」目当てに日暮里以外の客もより多く訪れるようになったという。
本をじっくり選んだあとは、焼きたてのパンとコーヒーをお供に読書のひとときを楽しめる。まさに現代の“日暮らしの里”と呼びたくなる魅惑の空間だ。
「パン屋の本屋」店長の近藤裕子さん
■大切な一冊
『あきない世傅(せいでん) 金と銀 源流篇』(著/高田郁)
『みをつくし料理帖』シリーズが人気の著者が描く、大阪商人をテーマにした時代小説シリーズの第1作。物語の主人公は、江戸時代の不況真っただ中である享保期に学者の子として生まれた幸。父から「商(あきない)は詐(いつわり)なり」と教えられた幸が、呉服屋での奉公で番頭に才を認められ、商の本質を知っていく。
「高田さんは大好きな作家で、全作品読んでいます。このシリーズはどんな困難にぶち当たっても、知恵を使って工夫し、立ち上がっていくところが大好きです。また、商いをテーマにした物語なので、店長としてもすごく勉強になります。仕事で行き詰まった時に読むと、たくさんの具体的なヒントを得られます。それに、売り上げにとらわれるのではなく、もっと商いの根本的なところから知恵をしぼらないと、と思わせてくれるところもあります」(近藤さん)

ひぐらしガーデン
東京都荒川区西日暮里2-6-7
http://higurashi-garden.co.jp/
(写真・山本倫子)
※連載「book cafe」は隔週金曜日配信となりました。次回は、2021年1月15日(金)の配信です。
おすすめの記事

2代目店主は編集者 映画と本を楽しむバー「ワイルドバンチ」
大阪府・大阪市北区

おいしいものいろいろ、体にやさしいランチでおもてなし 「喫茶去」
大阪府・大阪市西区

部屋作りの知恵と技が詰まった4坪の店 「INTERIOR BOOKWORM CAFE」
大阪府・大阪市西区

しんどい時こそ文学を 27歳が“文士村”で営む古書店 「あんず文庫」
東京都・大田区

500冊の本と極上コーヒーを24時間楽しめる「珈琲貴族エジンバラ」
東京都・新宿区
GALLERYギャラリー
PROFILE
からの記事と詳細 ( パン+本=地域の人が集える広場 「ひぐらしガーデン」 - 朝日新聞社 )
https://ift.tt/34KOuAG

No comments:
Post a Comment