江戸時代に現在の葛飾区南部で栽培されていた「
区などによると、本田ウリは江戸時代に美濃の真桑村(現・岐阜県本巣市)から伝わり、「本田筋」と呼ばれた現在の葛飾区立石や四つ木周辺で栽培が広がったとされる。近くを流れる中川が栽培に必要な豊かな土壌を運び、江戸へ運ぶ水路の役割も果たした。
本田ウリはほのかな甘みが特徴で、江戸時代は「水菓子」として親しまれたという。大正、昭和にかけて主要農産物がコマツナに変わっていく中、本田ウリは徐々に姿を消していった。
青果卸売業を営んでいた葛飾区西水元の佐藤洋司さん(86)は二〇一八年ごろ、新聞で足立区内で本田ウリの復活に取り組む女性農家を知った。「歴史ある野菜を元の産地で絶やしてはいけない」と、女性に種をもらって自身の畑で栽培に挑戦。二〇年ごろから地元農家にも協力を求めて種を分け、現在は四軒で生産している。
佐藤さんたちが育てる本田ウリは大きいもので長さ約三十センチ、重さは二キロになることも。昨年から協力する農家、染谷義春さん(75)は「子ども時代に家で作り、おやつにしていた思い出ある野菜。今年は成功し、出来は完璧」と話す。
順調に生産できるようになってきたウリを、どう広げるか。「調理方法が分からなくて手に取ってもらえないかもしれない」。佐藤さんらは新たに本田ウリの商品を開発しようと、今年六月、農家や和菓子店、酒造会社なども誘って任意団体「葛飾本田ウリ育成保存会」を結成した。
まずは江東区内のビール醸造所の協力で、ウリの搾り汁を使ったエールビールづくりを始め、六月末に試作品が完成。さわやかな香りと、すっきりした口当たりに仕上げた。ラベルには中川をイメージしたデザインを施し、「悠久の調べ」と名付けた。佐藤さんは「泡がはじける音が、現代を生きる本田ウリの喜びの声に聞こえる」と喜ぶ。
一本三百三十ミリリットルで、税込み八百八十円。葛飾区立石の酒店「美濃屋脇坂商店」などで販売しているが、改良を続けているという。
葛飾区西水元の「やざわ製パン」には、パン作りも依頼。本田ウリの食感が残るように甘く煮詰めてジャムにし、パン生地で包んで焼き上げた。値段は税込み百二十五円。不定期で、同店のほか、毎週火曜に同区立石の熊野神社に開設される野菜直売所で販売する。
現在は、ゼリーやそうざいの試作を重ねている。学校給食などで地元の名産品として本田ウリを活用してもらえるよう、教育現場にもPRしていくつもりだ。
佐藤さんは「おいしさの追求だけでなく、本田ウリが伝わってきた歴史も伝えることが大切。本田ウリを再興し、地元商店街の活性化、名産品づくりにつなげていきたい」と意気込む。
文・太田理英子/写真・高嶋ちぐさ、太田理英子
◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へ。
関連キーワード
からの記事と詳細 ( 江戸時代に栽培されていた「本田ウリ」 ビールやパンにおいしい変身 葛飾の地元住民が商品開発 - 東京新聞 )
https://ift.tt/3a8954o







No comments:
Post a Comment