中央区新川の交差点角にパン屋がある。一見すると気づかないかもしれない。立て看板とチラシ1枚。それが手がかりのすべてだからだ。
窓に貼られた商品リストを見てパンを買う。店員さんが窓から顔を出し、パンを渡してくれるという変わったスタイル。それでいて、昼時は次々と客が現れ行列ができる。
この謎の店、中に入るとイタリアンレストラン。絶品のパンが付くランチ、夜はパンといっしょにビールが飲める「パン飲み」で人気の「ジェットベイカー」が、「Higu 日々、くらし、パン」という名でパン屋を兼ねているのだ。
「日暮式高加水パン」を標榜(ひょうぼう)する。砂糖や油脂は入らないシンプルなパン。春よ恋などの北海道産小麦に粉対比100%以上の、大量の水が入る(通常は約70%)。
食べる前からむせかえるほど小麦が香る。そのやわらかさは、もっちり未満。なにしろ、もっちりが完結する前、舌に乗っただけでじゅーんと溶けるから、弾みたくても弾めない。ぷにゅっ、そしてとろーり。最初に甘く、それから喉(のど)の奥へとデンプン質の香りが噴出する。
具材を変えて1日5種類を販売。ランチを頼めば、盛り合わせがついてきて、おかわり自由。食事の前のアミューズになり、口直しになり、料理に寄り添う食事パンになり、ちょっとしたデザートにもなる万能パンだ。
店主の日暮勝秋(ひぐらし・かつあき)さんは、料理を作り、パンも作る。14年前に開いたイタリアンレストラン「ターブルドット」の厨房(ちゅうぼう)で、自家製パンをささやかに焼いていたのがはじまり。そんなとき、巨匠・志賀勝栄シェフ(「シニフィアン・シニフィエ」)の高加水パンと出会う。
「なんじゃ、この生みたいなパンは!」
衝撃を受け、自己流で再現していたところ、ひょんな縁から志賀勝栄シェフと知遇を得る。店の営業が終わったあと、シニフィアン・シニフィエに行き、研修に入った。お題を与えられ、そのパンを作って持っていくと、一口食べてアドバイスをくれる。
「君のパンにはキタノカオリ(北海道産小麦)が合うね」
巨匠による、無償の個人授業だった。
私はその頃の日暮さんのパンを食べたことがある。イタリアンで異常なほどおいしい自家製パンが出てきた! そんな印象だった。
ある日やってきた客は、後日パンの販売日にわざわざ再訪するほど、パンを気に入ってくれた。実は、その客は「ミシュラン」の覆面調査員で、ターブルドットはビブグルマンに選出されることになる。
日暮さんは、どのようにして、100%以上の水分を含ませてなお生地の形を保つのか。秘密はジャガイモ。茹(ゆ)でてペースト状にしたものを生地に入れる。実は、じゃがいもには、みかんに匹敵するほどのビタミンCが含まれる。これが、生地の弾力を強め、まとめあげる働きをするのだ。発酵時間はわずか90分(通常3時間)、ホイロ(最終発酵)もとらず、ドゥコン(温度管理できる発酵機)も持たない。それでいてこの高加水とは。レストランの厨房という限られた環境でパンを作るために、パン修業を経ない料理人が知恵と工夫で独自に編み出した製法だ。
日暮式高加水パンは、和の食材とめっぽう合う。「天安 昆布の佃煮(つくだに)」は、日暮さんが住む中央区佃にある老舗「天安」の佃煮を使用。生地がお粥(かゆ)のようにゆるりととろけたところに昆布も溶けてくる。でんぷんとしょうゆのダシが溶け合うこの感じ、昆布のおにぎりにそっくりだ。
「よもぎ大納言」は、目を閉じて食べたら、完全に和菓子。ぷにゅっとした食感、でんぷん質の口溶けがまるでお餅のような生地に、小豆の香り・甘さがしみじみと合う。
塩豆を入れた「塩濡(ぬ)れ赤えんどう」では、豆大福に化ける。紅こうじを入れたピンク色の生地は、ぷりっと感を増し、ういろうのよう。そこへ豆の香りとともに塩気が広がって、だんだん小麦を甘くしていく様が限りなく心地いい。
夜はビールとパンが正解。ビール職人が、スーパードライを5種類の注ぎ方で楽しませてくれる。「JET注ぎ」という泡をまったく作らない方法に驚いた。飲んでみると爽快極まりない。ホップの苦味に痺(しび)れる舌を、パンの甘さで癒やすのが最高だ。
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「このパンがすごい!」紹介店舗マップ(店舗情報は記事公開時のものです)
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